100年以上前、現在の眼鏡産地である福井県鯖江市に眼鏡作りを教えたのは東京と大阪の職人でした。

東京の眼鏡作りの歴史は古く、江戸時代にまで遡るようです。東京で最後の工場も2011年春に途絶えてしまいましたが 当時の伝統製法を完全に継承した生産工場を2014年に横浜で当社の自社工場「GYARD」として復活させました。

個人のメガネ店が本格的な眼鏡製作工場を設立することは、過去に例は殆どなく関東圏で唯一となります。



関東唯一のメガネ工場「G-YARD」

GROOVERのブランドを立ち上げた当初は当然ながら、日本のメガネ産地である福井県鯖江市の工場に生産委託(OEM)をお願いしていたわけです。しかし私達のような小売店からの注文は、デザイン的に変わったものが多く快く引き受けてくれませんでした。簡単に言うとメンドクサイし、クレームになりやすい。そして大手よりも発注量が少ないので後回しにされてしまう。

そんな中でも引き受けてくれた工場もあったのですが、製品が上がってきても満足のゆくクオリティではなく、クレームを言っても取り合ってくれませんでした。

そんな悶々とした日々を過ごしていたところ、唯一東京に残っていた「敷島眼鏡」に生産をお願いしようという事になりました。その当時でも敷島眼鏡以外に関東でメガネを作る工場はありませんでした。 東京にあるからイメージを伝えやすいだろうという事でお願いしていたのだけれども、2011年に倒産してしまいます。 納品直前に倒産してしまい、お先真っ暗って感じでした。倒産に震災は関係なかったんだけれども、震災後は色々あって絶望的な毎日でした。

敷島眼鏡も鯖江の工場のように大量生産をメインとしている工場でしたが、工場長の渡邊修一さんは伝統的な日本最古の「東京製法」を受け継いでいました。渡邊さんは敷島眼鏡の倒産で引退すると言っていましたが、45年働いた敷島眼鏡が倒産だった為に退職金も再就職先もありませんでした。その技術を継承しないのは非常に残念だと思い、2015年に渡邊さんをはじめ数人の職人さんと設立したのが「G-YARD」です。
設立まで4年も掛かってしまいましたが、何とか漕ぎつけました。



G-YARDのこだわり

G-YARDは最初から伝統製法に則り日本最古の眼鏡作りを行いたかったので、あえて古い機械や道具を揃えた工場にしました。

GYARDのメガネ作りはとにかく手作業が多く、伝統工芸のような製法によって作られています。現代のメガネ作りは大量生産型の設備で作られることが多く、GYARDほど手作業が多い工場はそうありません。次に東京製法の特徴は研磨(磨き)作業にとても時間を掛けます。恐らく現代のメガネ作りの2~3倍くらい磨いています。手作業で作られるメガネの魅力は、何と言っても風合いです。艶が深く、機械生産では出せない独特な丸みがあります。

プラスチックメガネを作る際にアセテートと呼ばれるプラスチック生地を使うのですが、乾燥が甘いと木の板のように「反り」が出てしまい、変形が起こってしまいます。アセテート材を乾燥させる時間も、とても長く取ることが特徴です。この手間暇が手作りメガネの風合いを生み出しています。



世界最高レベルの品質

当初、メガネ業界人は冷ややかな対応でOEMの依頼は来ませんでした。なのでGROOVERの専用工場として成長させる必要がありました。国内のメガネ卸事業は不調だったので、海外への売り込みを強めました。「外国人がそんな品質が理解できるのか?」という指摘もありましたが、JETROの支援により海外への営業活動を数年したところ、日本よりもGYARD製メガネの品質に感動してくれました。2016年以降、爆速的に海外への進出が進みました。

それによって今ではGYARDが生み出すほとんどの製品はGROOVERです。つまり工場の生産キャパをGROOVERブランドによって埋めることが出来たのです。

GYARDの設立により、デザイン実現度はほぼストレスのないレベルに達しています。メガネの品質も、世界最高品質クラスと言って過言ではないと思います。



グランドマイスター渡邉修一

眼鏡造り50年目を迎えたGYRADが誇る最上級マイスター。 プラスチック眼鏡職人として、現世NO1との呼び声が高い。 数々のアワードを受賞した眼鏡の生産を担当。 世界各国のデザイナーやショップからの信頼が厚く、生産の依頼が絶えない。 G-YARDが生み出すクラフトマンシップ溢れるメガネは、渡邉氏の培った技術力によるものが非常に大きい。